のんびり

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国語の教科書音読「サボテンの花」やなせたかし

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こんにちは!ささやまのどかです。

 

学校が始まりました!

先日、長女に音読の宿題がありました。

 

“まだ音読の宿題ってあるんだな~”なんて思いながら長女の音読を聞いていたら、内容がさ…、短いんだけど、なかなか突き刺さる内容でさ…。

私の気持ち的には、聞いているうちに、だんだん目が丸くなり、椅子からオットットと降り、ちょっと貸してくれる?と長女から国語の教科書を借りて再読。

 

知っている方は知ってるんだろうけど…。

「サボテンの花」という本で。アンパンマン作者のやなせたかしさんの作品。

 

内容は…、結末まで書いています。スミマセン。

 

 

 

 

 

 

砂漠に立っているサボテンに、風が話しかける。

“向こうの緑の平野に行けば、ゆっくりとねむりながら暮らせるのに、なんでこんな所に生えてるの?”

みたいなことを聞く。

サボテン答える。

なるほど。そこはいい所らしい。

しかし、ぼくはここがいい。

ねむるようにくらすより、たたかいながら生きたい。

それが生きるということだと、ぼくは思う。

風は口笛を吹きながら砂漠の向こうにいってしまう。

ある日、サボテンは、のどが渇いて死にそうな旅人に剣で切られる。

旅人は、サボテンの傷口から出た水を飲んで、再び旅を続ける。

風が又やってきて言う。

ばかだな。君は何もしないのに、切られてしまったじゃないか。

 サボテン、あえぎながら答える。

ぼくがあるから、あの人が助かった。

ぼくがここにいるということは、むだじゃ、なかった。

たとえ、ぼくが死んでも、一つの命が生きるのだ。

生きるということは助け合うことだと思うよ。

 やがてサボテンの傷は回復する。

サボテンはある日美しい花を咲かせる。

だれ一人として見る人もなかったのに。

 という文章で終わる。

 

娘と「う~ん、アンパンマンワールド、やなせさんワールドだね。」とおしゃべりする。

 

私は正直、やなせさんが描く、犠牲愛みたいな世界がちょっと苦手だった。

小学生の頃、図書室で初めてアンパンマンの絵本を読んだ時(その頃はアニメはやっておらず、アンパンマンも八頭身みたいな感じだった)、自分の顔を食べさせる姿に衝撃を受け、最終的に頭なしで飛ぶアンパンマンに又衝撃を受けた。

最後はパン工場で又新しい顔を作ってもらえるんだけど、やや心が痛んだ。

これは、アンパンマンの顔を分け与えてもらった動物たちも、同じなんじゃない?助かるけど、申し訳ない気持ちになるんじゃない?そんな想いが、スッキリしたハッピーエンドに感じられず、心にその時の衝撃が刺さったままだった。

 

やなせさんの作品は、私にとっては、好きとかよりも、心に引っかかる。

今回のサボテンの花も、心に引っかかる。

けれど、子ども時代とは又、違う感想ももつ。

 

サボテンは、犠牲的精神ではなくて、自分のポリシーを貫いて砂漠にいる。

私が感じていた犠牲愛とは、ちょっと違うみたい。

アンパンマンも、サボテンも、自分の使命を感じて生きている。

 

大人になってくると、自分の欲よりも、人が喜んでくれるとか、感謝されるとか、人の役に立ったとか、そっちの方が頑張れる時がある。

承認欲求が満たされているだけかもしれないが、自分が生きている使命を果たせた満足感かもしれないなぁ。

 

自分も小学生時代の国語の物語で、大好きだった話がある。

自分達の時代より薄くなった教科書に、いかがなものかとか思っていたけど、

やっぱり教科書、まだまだあなどれない。 

 

音読で、ずいぶん色々と思いを巡らせることになった話、でした!

 

 

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