こんにちは!ささやまのどかです。
この間、大人気の絵本作家ヨシタケシンスケさんが出ている回の情熱大陸(テレビ番組)を見ました!
私はヨシタケさんの絵本が大好きで、以前にも少し絵本のことを書いています。
で、情熱大陸を見ていると
“あ~、やっぱりいいよなぁ。 ヨシタケさんのこういうところが好きなんだよな~”って思いました。
例えばこんなところ。
人を嫌う気持ち、憎む気持ちを肯定する本を作りたい。
なぜなら、ぼく自身が憎しみを消すことができず、苦しんでいるから。
人を嫌うのは苦しい。でも消すこともできない。ならばせめて、その憎しみをやる気や希望に変えることはできないだろうか。
(※情熱大陸でのヨシタケさんの絵)
ぼくが好きな考え方は、
「あいつがひどい目にあうのなら、ぼくはどんなことでもがんばれる」
というもの。
……こういう所がね、人間らしくていいじゃないですか。(^^)
ほんまに嫌いな人間はどうしてもいて、そう思い続けるのはしんどいけど、
だからって何も思ってない風を装うなんてできないし、気持ちを切り替えることも難しいっていうね。ぷっと笑ってしまう程度の痛い目にあってるのを見てスッキリしたいというね。人間なんてそんなもん。
でも絵本は子どもが読むわけだし、そのまま書くわけにもいかない…と思考が続きます…。
しかしこれでは特定の個人を憎むことになり、子どもに混乱と誤解を与える可能性がある。つまり絵本にするのは難しい。
うーん…。憎しみを否定せずに、でも個人を攻撃しない方法って…
あ!個人を憎むのではなく、「その個人を動かしている何か」を憎めばいいんじゃない?
憎しみの矛先をちょっと変えればいいんだ!
そうすれば絵本にしても大丈夫かもしれない。
「妖怪のせい」みたいなことかな?その背景や原因を憎む、という…。これって割と日本に昔からある考え方。でもそうだとしても、ヨシタケさん風味の作品となればやっぱり読みたくなります。
これは「ころべばいいのに」という絵本を作るまでのことみたいです。どんな絵本になるのか、すごく楽しみ。
まさにヨシタケさんの絵本を表しているなと思った言葉
「ちっちゃい頃の自分が読んでニヤニヤできるかどうかが、ぼくが一番大事にしていることなんで…。」
うん、まさにヨシタケさんの絵本は読んでていニヤニヤしちゃう。
「りんごかもしれない」「もうぬげない」「なつみはなんにでもなれる」親目線で読むと、“お母さんその気持ち分かるよ!大変だよね!”ってなるし、でもひとたび自分のこども時代とか思い出すと、“そんな妄想にふけったこともあったよねぇ、ここまでちゃうけど…ンフフ。”な~んてニヤニヤしちゃう。
ヨシタケさんの真髄かもなと思った言葉
「難しいとされている、タブーとされているテーマと、すごくくだらないとされているテーマを同じ熱量で扱い続けたいです。」っていうのはよく言っていて、それをなんか
同じくらい真剣に、「大事なことって本当にそんなに大事なんだろうか、くだらないことはそんなにくだらないんだろうか、とちゃんと両方言うことで何か、一つ見えてくるものがあるといいなー、と思っている。」
同じ熱量で…っていうのがイイですよね。
私が惹かれる作品の1つに、ほとんどくだらないんだけど、たまに本質をついてくるなと思うものが入っている気がする。自分がちょっとひねくれた所があるから、真正面から良い言葉を言われても素直に入ってこなくって、でもくだらなくて笑える中に本質的な大事な何かを織り交ぜてくれると、すっと自分の中に入ってくる、みたいな…。ようは、最初から説教くさいのは受け入れられないけども、みたいな感じ。
ヨシタケさんが言われていることとは少しずれているかもしれませんが、言いたいのは、ヨシタケさんの絵本の内容はスッと入ってくるってこと。読む人全体に染みていきわたるってこと。そのままでいいんだなって思わせてくれるってこと。
この間また、ヨシタケさんの絵本を大人買いしてしまったので、また絵本のことを書けたらいいなと思っています。