のんびり

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数学教師いもと先生の言葉と行動にガツンとやられた。[プロフェッショナル仕事の流儀]

本年もよろしくお願い致します。(^-^)

1月7日にテレビ番組「プロフェッショナル仕事の流儀」を見ました~。

この日は数学教師の井本陽久さん。

井本先生の言葉にちょっと頭をガツンとやられたような感じを受けたので、備忘録として残しておこうと思います。 

www2.nhk.or.jp

 

以下、井本先生(通称いもにい)の言葉を青字で引用していきます。 

 

こういう力が必要だ、ていうところの目的において、するのが教育だとすれば、子どもは見えなくなるんですよ。だって見てるのは、こうなった方がいいってところだから。

それを見てこの子見てたら、これが足りてるか足りてないかっていう視点でしか見れないんですよね。その子自身は見えない。

例えば将来、未来の社会っていうのは…社会ってのは先にあるんじゃなくて、彼らが…将来暮らしている彼ら自身が社会、じゃないですか。

だから社会がこうだから彼らを…って、めっちゃあべこべですよね。うん、もう息苦しくないですかそれって。変ですよね。うんだから…社会なんて見えなくていいと思います。

社会は彼らが作るものであって。こちらが先に規定する物じゃないしね。まそんな感じがするんですよね。

 

今まで私は、子どもの自立が親の仕事かなと思ってきました。それは今でも変わりません。

でも、その自立の為には、これからの社会の動きを見ておかないといけない、これからの時代や社会に必要な力を、子ども達ににつけさせてあげないといけない、これから働く人が求められる力を…、そんな風に考えていました。

ただその考えが先にたち過ぎると、本質からはずれてしまうんだなと衝撃を受けた次第です。

 

他にも心に刺さる言葉がいっぱいでてきて、またそれが上っ滑りではなく、生い立ちや育てられ方や教師経験からきているんだなというのが、人柄からも番組の後半からも伝わります。

これを聞いたからって自分がすぐ子育てに実践できるわけではないけれど、常に心にとめておきたい言葉のかたまりでした。

 

井本先生は“いもにい”と生徒達から呼ばれています。

早口で、常にやりたい事がいっぱいという感じに見える、50歳なのに少年のような印象。

学校に着いたら子どもをまず見に行き、かたっぱしからちょっかいをかけ触れ合っていきます。

 

井本先生はこの春、27年勤めた学校を非常勤になり、授業数を減らす決断をしたそうです。その分、学校以外に教室をもち、進学校だけでない様々な生徒の為に、週3回授業を行っています。

はなまる学習会「いもいも」。主に中学生で5クラス約60人。井本先生の授業を受けたいという子だけでなく、学校になじめない子も通ってくるそうです。

 

22年前から月に2回「聖園子供の家」という児童養護施設にも通われています。親と離れて暮らす子供達が約40人共同生活を送っていて、勉強をみてきたそうです。

こういうところがまたすごい。それに対する言葉にも納得します。

 

以下、青字は井本先生の言葉です。

そのまま伝えたいし残したいので、番組前半の先生の言葉をほぼほぼ書き起こしています。

 

勉強なんて別にできてもできなくてもいい。全然いい、全然いいです。幸せには関係ないです。

 

ダメって思われているところが、実は学びで、決定的な要素なんです。 

 

好き好き好きっていうのをペタペタ貼りたいみたいな、常になんか喜ばせたい。常に発動しているんですよ、しょうがないんですよ。止められないんです。オフのできないスイッチみたいな感じ。僕もわかんないですけど。

 

自分がとにかく授業で一番大切にしていることは、できるできないじゃなくて、理解する理解してないじゃなくて、

今考えているかどうかということだけ見ているので、

そうすると授業変わりますよね。

少なくとも黒板で正解をずっと書く授業って何も考えてないわけだから。

 

びっくりさせるとか。喜ばせたい。

それこそぷるっとさせるって感じですかね。

その問題に向き合っている時に、僕がいるのが全然気づかないくらい夢中になっちゃうみたいな。分かった!みたいな。ここはこうだ!みたいな。言っていることは全然間違っていても。その子はやったみたいな、ほとばしってるみたいな。そういうのを作りたい。

とにかく目の前の子ども達をぷるぷるさせたいだけなので…ぷるっとさせたい感じ。

 

学校でつける評価っていうのは、求めた答えを出せるかどうかってことなので、それを正確に再現する力はつくかもしれないけど、別の壁がポンと立ちはだかった時に、自分でどうにかするってことはできないですよね。なぜかって試行錯誤を知らなければ。

 

どんな題材でもいいから、そこでどういう思考が行われるか

 

僕が教える人になっていたら、(子供達は)たぶん自分で自由に考えないと思います。なぜかと言ったら、先生のところに答えがあるわけだから。答えがあるのに自分が何かを言ったら違ったら嫌じゃないですか。だから僕は答えを出す人じゃないですね。

 

誤答は宝ですね。ナイス誤答っていうのは、みんなこれなんで誤答なのか、パッと考えたらわかんないって誤答があるんですよ。それをポッとみんなに出したら「え?なんでこれ違うの」「あぁそうか」みたいな。「え?」ってなりますね。

 

用があってなんかするって、ちょっと遠いじゃないですか。でも用もないのに訳の分からないことをするっていうのが、純粋にその子に興味もってるってことですよね。

 

不思議なのが、好き好き好きってペタペタ貼ってると、もっともっと好きになるんです。これ本当やってみたらいいと思うんですよ。好き好きって。

年頃の子じゃないですか。キモッとか言いながら、イモニイじゃなくてキモニイって呼ばれたりするけど、そういわれながら僕ん中では、ああそんなに嬉しいんだって。僕はそう確信してるので。勝手に。だから…僕も幸せですよね。おめでたいやつですよね。

 

僕が考えてふっとなるのは、うまくやれてない子っていうんですかね、そのことがずっと気になっていて、たぶんそういう子達って

僕らから行かないとたぶん出会えないんですよね。

  

学校とか世間っていう評価軸とか取っ払っちゃえば、魅力たくさんあるんですよね。特に自信のない子ほどこう…周りの評価軸を気にするじゃないですか。

だから子どもにとっての大人の意味って、こうふって…何かやっていて、ふって大人の顔を見た時に微笑んでもらえることだと思いますけどね。

だから子どもがふっと見たときに微笑み返せる、返すこと、あの瞬間ってめちゃめちゃ大きいですよ。

 

今のこの子がここにいるのにね、この子のままでダメなはずがないっていう感じですかね。

 

大人を独占するっていう経験がたぶん少ないじゃないですか。まぁでもお互い、大事にされて嬉しいって感じじゃないですか。ま僕も結局そうなんで。

 

我々がありのままを認めていれば、その子が将来、必要になるようなものなんて、身に着くと思うんですよ。伸びるというか伸びていくですね、勝手に子供達が伸びていく、どこに行くか分からないけど。伸びていくのは彼ら自身だし、どの方向に行くかは誰も分からないし彼らも分からないかもしれない。

でも、それをこう信頼して見守っていく。

子供って全然信用していいんですよね。本当に信じて彼らの考えるようにやるようにやったら、こんな生き生きするんですもん。

 

今の君もこれまでの君の人生も全部OK、大丈夫。心から思ってあげられること、ですね。まぁ、愛ですね、はい。

 

番組の後半では、井本先生の育ってきた環境や、これまでの教師体験のうまくいかなかった体験もあり、あぁこうして今の井本先生の言葉があるんだなと感じました。

授業中や普段の子供達の様子も興味深かったです。

 

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