のんびり

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イチローありがとう。(引退会見を見て泣けたアラフォー世代の1人)

2019年3月21日、イチローが引退会見をした。

野球にはうといが、世代的にずっとイチローの活躍を見聞きしながら生きてきた。私も、私の周りの人達も。

 

仰木監督が好きだった母からは「イチローを見いだした仰木さんはさすがだ」と聞かされていたし。(仰木さんは粋だオシャレだカッコイイと褒めちぎっていた)

野球場でオリックス時代の活躍を直接見た友人や夫は、誇らしげに話すし。

“た、し、か、イッチローが満塁ホームラン♪ 打ったあの日以来会ってないわよね~♪”とラジオからは流れていたし。

私はお腹に長女がいる時にテレビで観たWBCで、すっかりイチローやダルビッシュや日本人選手たちの戦いに感動してしまったし。

 

音楽で昔の自分を思い出すように、イチローの活躍や記録で、自分がその時何をしていたかを思い出す。

そんな人が私の他にもたくさんいると思う。

 

そのイチローが

いやぁ、今日のあの球場でのできごと…。あんなものを見せられたら、後悔などあろうはずがありません。

と言ってくれる引退試合になって、胸がつまる。

あの引退試合にいたお客さんや、その舞台を用意してくれた人達にも、お礼を言いたくなる。

 

イチローの言葉は、誰にでも当てはまる表現もあって…。

先程もお話しましたけれど、人より頑張ることなんてとてもできないんですよね。あくまでも、秤(はかり)は自分のなかにある。それで自分なりに秤を使いながら、自分の限界を見ながら、ちょっと超えていくということを繰り返していく。

そうすると、いつの日か「こんな自分になっているんだ」という状態になって。だから、少しずつの積み重ねが、それでしか自分を超えていけないというふうに思うんですよね。 

一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それが続けられないと僕は考えているので。地道に進むしかない。進むだけではないですね。後退もしながら、ある時は後退しかしない時期もあると思うので。

でも、自分がやると決めたことを信じてやっていく。でもそれは正解とは限らないですよね。間違ったことを続けてしまっていることもあるんですけど。でもそうやって遠回りすることでしか、本当の自分に出会えないというか。そんな気がしているので。

 

イチローでさえ、あのイチローでさえそんな風に思って頑張ってきたんだなぁと驚く。

こんなスーパースターでもスモールステップの積み重ねで頑張ってきたという事実が、私のような怠け者の凡人にも“ちょっと頑張ってみようかな”という気を起させる。

 

――これから、どんなギフトを私たちにくださるのでしょうか?という質問には…。

ないですよ、そんなの(笑)無茶言わないでくださいよ(笑)

でも本当これは大きなギフトで。去年3月の頭にマリナーズからオファーを頂いて、からの今日までの流れがあるんですけど。あそこで終わっていても全然おかしくないですからね。去年の春に終わっていても全くおかしくない状況でしたから。

いま、この状況が信じられないですよ。あの時考えていたのは、自分がオフの間、アメリカでプレーするために準備をする場所というのは、神戸の球場なんですけど、そこで寒い時期に練習するので、凹むんですよね。やっぱ心折れるんですよ。

でもそんなときも、いつも仲間に支えられてやってきたんですけど、最後は今まで自分なりに訓練を重ねてきた神戸の球場で、ひっそりと終わるのかなぁというふうに、あの当時想像していたので。もう夢見たいです、こんなの。これも大きなギフトです、僕にとっては。

だから質問に答えてないですけど、僕からのギフトはないです(笑)

イチローでも心折れる時があるんだなぁと驚く。神戸で地道に練習していた時間があるんだよなぁと不思議に感じる。

 

確かに、最低50までって本当に思っていたし、それは叶わずで。有言不実行の男になってしまったわけですけど、でもその表現をしてこなかったらここまでできなかったかもなという思いもあります。

言葉にすること。難しいかもしれないけど、言葉にして表現することというのは、目標に近づく一つの方法ではないかなというふうに思っています。

 

言葉にして表現することも、目標に近づく1つの方法かぁ。

以前の会見でもイチローは言っていたなぁ。

 

子供の頃から、人に笑われてきたことを常に達成してきた自負はあります。小学生の頃、毎日練習して近所の人から『あいつプロ野球選手にでもなるのか』と笑われた。悔しい思いもしましたが、プロ野球選手になった。米国に行く時も『首位打者になってみたい』と言って笑われた。でも、2回達成した… 

 

「常に人に笑われてきた悔しい歴史が僕の中にある。これからも、それをクリアしていきたいという思いはもちろんある」

 

笑われるのが怖くて、自分の目標や夢なんてなかなか人に言えなかったりする。スタート地点に立つだけでも、勇気のいることなんだよな。

 

やりたいならやってみればいい。「できる」と思うから挑戦するのではなく、「やりたい」と思えば挑戦すれば良い。その時に、どんな結果が出ようとも、後悔はないと思うんですよね。

自分なりの成功を勝ち取ったところで、じゃあ達成感があるのかといったらそれも僕には疑問なので。基本的にはやりたいと思ったことに向かっていきたいですよね。

 

奥さんの弓子さんや、愛犬の一弓くんの話にも胸がギュッとなる。 

いやぁ…うーん。頑張ってくれましたね。一番頑張ってくれたと思います。僕はアメリカで、結局3089本のヒットを打ったわけですけど。妻はですね、およそ、僕はゲーム前にホームの時はおにぎりを食べるんですね。妻が握ってくれたおにぎりを球場に持っていって食べるんですけど。その数が2800ぐらいだったんですよ。3000行きたかったみたいですね。そこは、うーん、3000個握らせて上げたかったなと思います。

  

それと一弓(いっきゅう)ですね。一弓というのはご存じない方もいらっしゃると思いますけど、我が家の愛犬ですね。柴犬なんですけど。現在17歳と7カ月。今年で18歳になろうかという柴犬なんですけど。

さすがにですね、おじいちゃんになってきて。毎日フラフラなんですけど、懸命に生きているんですよね。その姿を見ていたら、それは俺頑張らなきゃなと。

 

おにぎりを3000個握りたかった、握らせてあげたかった、なんてなんと美しい…。

夫のお弁当なんて昔に少し作ってみただけな自分が恥ずかしい。

 

野球自体の話も興味深くて、もっと具体的に聞いてみたかった。

2001年に、僕はアメリカに来てから、この2019年の現在の野球は全く違う野球になりました。

頭を使わなくてもできてしまう野球になりつつあるような。選手はみんな、選手も現場にいる人たちはみんな感じていることだと思うんですけど、これがどうやって変化していくのか。次の5年、10年、しばらくはこの流れは止まらないと思うんですけど。

本来は野球というのは…ダメだな、これ言うと問題になりそうだな…。

頭を使わなきゃできない競技なんですよ、本来は。でも、そうじゃなくなっているのが、どうも気持ち悪くて。

ベースボールの発祥はアメリカですから、その野球がそうなってきているということに、危機感を持っている人って結構いると思うんですよね。

日本の野球がアメリカに追従する必要なんて全くなくて。やっぱり日本の野球は、頭をつかう面白い野球であってほしいなって思います。アメリカのこの流れは止まらないので。

せめて日本の野球は、決して変わってはいけないこと、大切にしなければならないものを、大切にしてほしいなというふうに思います。

夫はたまに「アメリカは個人のパワープレーの方が強くて、そっちが勝ってしまうからなぁ」みたいなことを言う。

 

私は、野球の細かいことが分からないぶん、夫に説明してもらいながら野球観戦したり、昔の野球選手の裏話みたいなのを教えてもらうのが、すごく面白かった。

野球って奥が深いのねと驚くし、一瞬で先を読まないといけないんだなと思うし、昔の野球選手は盗塁やら色々と抜きんでた持ち味があったのねと感じる。

テレビも、チュートリアル徳井君らが出ている「球辞苑」での話は、マニアックながら素人が聞いていても凄く面白いし、より野球を楽しめる気になれる。

 

ちょっと話がそれたけど、野球って面白いんだなって思えたのも、夫から色々教えてもらったのと、WBCを真剣に観たのがキッカケだ。

WBCでの、野球選手たちのイチローへのリスペクトやチームプレーに、テレビ越しに熱くなって応援した。なので、そこからのにわかファンなのだけれど…。

 

イチローの引退会見を見ていると、途中からボロボロ泣けてきた。

引用ばかりになってしまったが、自分の心に残った記録としてイチローの言葉を書いておきたいと思った。おしまい。 

 

 

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