今日は暖かいですね。月並みな言い方ですが春の匂いがして嬉しくなりました。
この間まであんなに寒かったのに。
この地域の小学校は集団登校なので、保護者が見送りをする当番があるのです。今週は自分なので、小学校7年目ともなるとちょっと面倒だな~と思うようになっていたんですね正直。申し訳ないんだけど。
そして私は知らない人とコミュニケーションとるのは基本苦手なので、例え子供でもちょっと緊張するのです。
でもね、今週は私が「おはようございます」って言ったら子供達がちゃんと返してくれて。(いやちゃんと挨拶できる子もいるんだけど、嫌なのかなんなのかシレっと無視されることも多いのでね。そんな時は悲しいよねやっぱり。あれ、上手な大人は、相手もつい挨拶を返ししてしまうタイミングや強引さをもってますね。)
今日なんかは、子供達の方から数人挨拶してくれて。なにげにめっちゃ嬉しい。それだけで、“カ、カワイイ…。嬉しい”と思うんだから大人の私の方がよほど単純なのかもしれない。
子供達って本当に大人をよく見ていて。見送りの保護者なんて興味なさそうな顔をしていますが、「スマホしか見ていない人もいる。」と家で話していたり。自分も気をつけないといけないなぁと感じます。
そしてこちらが子供達に関心を持って接していると、向こうも少しずつ距離を縮めてくれたりして、そんな所が素直で可愛いというか、やはり子供と接するっていいなぁ、と。
私のお当番イヤイヤ病が少し緩和された出来事でした。
先日は、小学校で次女の縄跳び大会がありました。個人縄跳びと八の字縄跳び。個人競技は何飛びでもいいのです。引っかかっても構わないので、決まった時間飛び続け、何回跳べたかを記録します。
次女は個人縄跳びは普通跳びを選びました。ただ跳ぶだけのヤツ。
以前は一回跳んだらいっぱくおかないと跳べなかったのが(伝わりますかね。ヒュン、ウン、ヒュン、ウン、のリズム)、続けてヒュンヒュン飛べるようになっていました。
(確か、次女の幼稚園時代に、夫が次女に続けて跳んでみたらとアドバイスした時は「ワタシはこの跳び方じゃないとムリなの!」とキレていた気がする…。)
そういえば、以前私にそのことを言ってきました。続けて跳べるようになったんだよ!って。
真剣にヒュンヒュン跳び続ける横顔がかっこ良かったです。
大縄跳びの八の字も、参観で観ていたら、前の子が跳んだ後に一回縄が回らないと入れてなかったんですね。上手な子は前の子が跳んだらすぐ入れるんです。
跳べるには跳べるのでそれでもいいのですが、家でその話をすると「入るタイミングは分かってるんだけど、怖いから。」と。
次女はかなり慎重なので、おそらく学校で挑戦するのは怖いのと、失敗してみんなに迷惑かけるのが嫌なのでしょう。
そんな訳で、夫と長女にも協力してもらって家族で大縄跳びの練習をしました。
最初は何回か失敗していたけど、お姉ちゃんのナイスアドバイスもあり跳べるようになりました。(次女の前を跳ぶ時は、大繩の前の方で跳んであげるとか)
縄跳び大会で続けて跳べるようになったところを見て、自己満足した私。
うちの子は体育嫌いなので、練習して出来ることなら、少しでもできるようにしてあげたいんですよねぇ。ドッジボールも怖がるので一緒に何回かしてみたけれど、ドッジは嫌いなままでした。(T_T)
私も体育もドッジも苦手だから仕方ないですけどねぇ。
話が逸れましたが、縄跳びって幼稚園からやるじゃないですか。幼稚園の先生が昔言ってました。縄跳びは頑張れば誰でも出来るようになるからと。毎日練習する体験と、成功体験ができるから、みたいな事を話されていました。
1つずつ積み重ねていくこと。コツコツ努力し続けること。
私もそれが出来るようになりたい。でもいつも、なかなか続かない…。
以前、長女から勧められた「西の魔女が死んだ」という本に、こんなセリフがありました。
最初は何も変わらないように思います。そしてだんだんに疑いの心や、怠け心、あきらめ、投げやりな気持ちが出てきます。それに打ち勝って、ただ黙々と続けるのです。そうして、もう永久に何も変わらないんじゃないかと思われるころ、ようやく、以前の自分とは違う自分を発見するような出来事が起こるでしょう。そしてまた、地道な努力を続ける、退屈な日々の連続で、また、ある日突然、今までの自分とは更に違う自分を見ることになる、それの繰り返しです。
分かってはいても、地道な努力を続けることが一番むずかしい。
私もこれができるようになりたい。