のんびり

雑記ブログです。日記、お出かけ、絵本、子育て、USJ、テレビ、家事、など。好きなことを好きなように書いています。

スポンサーリンク

子供が「学校に行くのがつらい」と言うこと。

(親の私の不安や、これまでに感じていることをつらつらと書いています。)

 経緯

これは現在進行形で言うと、次女(小学生)の話です。

いじめとかではないです。

一人、次女のクラスにとても手のかかる子供さんがいて、その子が奇声を発したり我儘をすることで、周りも騒がしくなり教室自体が落ち着かなく、学級崩壊まではいかないけれど、次女のように敏感なタイプの子は、だんだんしんどくなってくる、というものです。

親の私も担任の先生には相談していて、話を聞いていると、ある程度は学校側もできることはしている状態で、大変なんだろうなぁという感じです。

 

これ、自分にとっては二回目で、長女(中学生)が小学生の時も1年間似たようなことがあって、親子共にとてもしんどかった経験があります。(中学校は今のところ楽しく通っています。)

その当時もブログをしていましたが、長女のプライベートを自分がブログに書くのも躊躇されて、具体的には何も書きませんでした。書くなら、先々で書くことにしようと思っていました。

 

でも先日、不登校のお子さんをもつお母さんとお話する機会があって、そこで色々と直に話せて少し気が楽になったんですよね。

だから自分が書くことで、もしかしたら同じおもいをしている人が読んで共感できるところがあればと思い、書くことにしました。

 

その方のお子さんも繊細で、共通するところがありました。

おそらくお互いHSC(ハイリーセンシティブチャイルド、人一倍敏感な子)かなと思います。その方もそう仰っていました。

最近はよく耳にするようになりましたが、私が知った3年前にはネットや本でしか聞きませんでした。

光、音、におい、などの刺激に敏感で、感受性が強く、他人の気持ちにも敏感。病気ではなく気質で、5人に1人いると言われています。一昔前なら、神経質とか言われる感じかもしれません。

本を読んだ時、子供が赤ちゃんの時から知っておきたかったなぁ!と感じました。色々思い当たることがあったんですよね。

 

とはいえ、HSCにも程度の差もあるし、色々なタイプもいるし、対応も一人一人違ってくるんですよね。そこも難しいです。

 

親の私の想いと、できること

でもどんな気質をもっていようが、とどのつまり社会で生きていかないといけなくて、子供もこれから変化も成長もすると思うけれど、自分の気質を受け入れた上で、対応力をつけていってほしい、でも心を壊さないように少しずつ…、というのが私のおもいで。

 

ただ、学校に行くのがつらそうな姿を見ていると、親もただただ辛いというか、何かしてあげられることはないか、と思う毎日なんですよね。

次女の話を聞いたり、ママはこんな風にしていたよと話したり、配慮してもらえそうなことは先生に相談したり…、私はこれくらいしかできなくて。

 

子供に言えることは、年齢が上がってくれば自由も選択も少しずつ増えるから、少し楽になるよ、ということ。

 

自分の子ども時代

それは私自身が感じていたことでした。

子供時代はほとんどの時間を学校という枠の中で過ごさないといけなくて、集団生活や人の多いところが苦手だった私は、かなり窮屈に感じていました。

でも、当時は親のことを考えると学校に行きたくないとは言えなかったし、幼稚園は登園拒否している時期があったけれど、小学生に上がったら嫌でも行かないといけないなぁと漠然と考えていました。

でも小学校で学校に行けなくなる程つらくはならなかったので、私の場合は大した事なかったんだと思います。小学校時代の写真は目が死んでるように見えますが…。

しんどい時間は、ひたすら想像の世界に浸っていたからのような…。

 

大きくなるにつれ、中学になると周りにもオトナな子も何人かいて、先生も教科別で色々な人に当たるし、少しずつ楽になってきました。

そして社会人になれば、仕事も環境も一応自分で選ぶ自由ができます。もちろんその時の自分の能力で、ですが、好きなことへの努力に時間を使えるし、仕事環境は自分に合ったものを選ぶことが出来ます。

 

1番しんどい期間は小学校?

 振り返ると繊細な人達にとって、義務教育期間、小学校6年間が特につらいんじゃないかな、と思うんです。

クラスも担任の先生も1年間固定、選択肢はもちろんない

いや、学校に行ける、義務教育という制度がある、ということはすごくありがたいことだとは思うし、それは大前提です。

昔よりは公立の小学校も良くなってきているし、地域差もあるでしょう。そのレベルの話ではなくて。

小学校の場合、学校側のことだけを言ってはいけないけど、いい先生にあたればクラスも良くなり、楽しい一年間が過ごせる。でもどうしても、先生の力量に左右され過ぎる。そこにフォローはほぼ無くて、学校側としてもフォローの人員は足りない。それぞれの担任をもっている先生で助け合う感じ。

 

学校に行けなくなった時の選択肢の少なさ

そして子供が学校に行くのがつらくなった時、あまりに選択肢が少ない。

つらかったら無理して行かなくていい、とは言ってあげられるけど、じゃあ義務教育期間、どう過ごすのか、ということ。

長女の時にも色々調べました。フリースクール、ネットで勉強、ネットスクール、色々見るけど、ここがあるから大丈夫、と思えるところはまだ見当たらなくて。少しずつそういうところも、これから出てくるかもしれませんが…。

 

とにかく、高校からならまだ選択肢があるけれど、意外と義務教育期間はしんどいなと。これは私の想像でしかないけど、学校に行けなくなった場合、家で過ごす子の方が多いんじゃないかなと思うんです。

 

中学生の長女だって、今はたまたま周りに恵まれて楽しいけど、いつ又しんどくなるか分からないっていう不安もあります。

実際、中学はクラスに2人~3人位の割合で不登校の子がいるんですよね。

 

長女は公立中学ですが、次女も公立で大丈夫か、私立の方がいいんだろうか、でも私立で行けなくなった方が困るんじゃないか、とか色々考えてしまいます。

まだまだ、私がドンと構えられていないんですよねー。

結局、私だって自分の子がそういう状況にならなければ、どこか他人事に感じていたと思うんですよ。

 

子供側のこと 

子供側のことでいえば、言い方は悪いけど、学校じたいの優先順位を低く感じられるほどの好きなことや目標ができたらいいな、とは思うんです。

視野を広げる為に、色々な習い事をしてみたり、経験をしたり、っていうのは大事なのかなーとは思います。

学校以外の居場所や友達ができたらいいな、とか。

自分の育て方が間違っていないとか、そんなことは微塵も思っていなくて、だから悩むんですよね、母親の私のやり方が悪かったんだろうかって。

でもそんなこと思っても仕方ないし、完璧なんて無理だし、持って生まれた性質は絶対あるし、最近はなるべくそこは考えないようにしています。

でも今出来ることがあれば、なるだけやりたい、とは思っています。

 

小学校、何も考えず、こうしてみたらどうかなーって書いてみる。

・小学校から、中学のように教科別の先生にする。

・いっそ、単位制、飛び級もありにして、得意を伸ばす。

・現実的には、先生の仕事をもっと分業制にする。先生に、教える工夫を考えられる余裕を!教員免許が必要ない仕事は、他の人を雇おうよ!教育にお金と工夫を。

・学年に1人でもフォローの先生がいたらいいな。

・ネット社会なんだから、公の教育にもネット活用を。お便り、ネットじゃダメなの?こんなに紙だらけになるの、学校関係だけかも。

 

最後

 なんか色々と無責任に偉そうなことも書きましたが…。

見ていて、先生も大変だと思うんです。次々と教える科目は増えるし。皆が皆、英語やプログラミングに詳しい訳じゃないだろうし。子供達は一人一人違うし、どうしても手のかかる子に時間はとられるし。

 

うーん、何も解決はしていないんですが、今日も次女の話を聞いて、自分に何か出来るか、今日も考えようと思います。 

 

スポンサーリンク