2022年10月17日、月曜日。雨のち曇り。
私は、自分のブログはたまにしか書かないけれど、
(書きたいけどスラスラ書けない、時間がとれない、まとまらない、などの理由で)
はてなブログのトップや読者登録しているブログ、その他お気に入りのブログは、ほぼ毎日何かしら読んでいます。好きだから。
あと、自分のブログのグーグルアナリティクスもほぼ毎日見ています。
自分のブログの、どの記事がどれだけ読まれているかが分かります。
これを見ると「まさに今、わざわざ自分のブログを開いてくれている人がいる…!(例え1人でも)」と、毎回嬉しくなれるんです。励まされる。
だってそうじゃないですか。
自分は毎日更新している訳でもないし、文章も内容も分かりにくい事も多いのに、検索にしろ何にしろ、誰かが自分が書いた文章を読んでくれているかもしれないなんて、やっぱり不思議で嬉しいじゃないですか。
いや勿論、ブログを始めた頃は毎日のアクセス数に一喜一憂していました。
でも数年たってゆるく続けている今となっては、開いてくれただけでありがたい、そんな心境になっちゃいます。
検索で読んでもらえるのも勿論嬉しいけれど、それ以外があるともっと嬉しい気持ちになれます。
自分のブログを気にかけてくれている人がいるのか…!って。
何でもいいから何か書こう、書きたい!って思えてきます。
で、結構前の記事ですが、
この週刊はてなブログを読んで、日記の面白さや価値を改めて感じました。
なんでもない日常なのに、文章に惹かれる、面白い、味わい深い、そんな日記(ブログ)を書かれている方は確かにたくさんいて、人の日記ってすごく面白い!ってことに、共感したわけです。
今ね、高1の長女が古典で土佐日記や蜻蛉(かげろう)日記の勉強をしていて、
「内容は面白いの?」って聞いたら、
「面白い!古典は文法とか難しいけど中身は面白い。」っていうわけですよ。
なんかね、“あぁ、そんな昔から日記文学ってあったんだよな”って改めて感動しちゃって。
私、子供の頃「アンネの日記」を読んだけど、自分が一番心を動かされたのは、戦争のことよりも、アンネの思春期特有の心の揺らぎ、葛藤、そっちだったんですよね。
その少女の日常の中で、隠れ家にいなければならなかったり、ナチス、ユダヤ人の問題がある。
そこから自分がもしそんな状況だったら、と想像もする。
私ね、この順番が本当だと思うんですよ。
教育現場で戦争を扱う時、あまりに戦争を前に押し出し過ぎ。長くやらせ過ぎ。重い部分だけに焦点を当てすぎ。そこには必ず、普通の人の日常があったはず。
まず普通の人達の日常と心情があって、読む人がそこに共感する。その日常が突然、又はじわじわと、戦争に浸食される。その理不尽さを考え、心境を想像させられる。そこから又、大切な人を失くしつつも、人はどういう風に生きていったかを知る。
「この世界の片隅に」だって、先に1人の女性の物語があって、そこに戦争が絡んできているんですよね。
だから素晴らしいと思う。本当はこうだろうって。
そこにリアルさを感じて、いつの時代も人の感情はそんなに違いは無いから、共感して。
それで、戦争を他人事や遠い世界の事ではなく身近な問題として、考えて読めるのだろうって思います。
学校であれだけの時間、戦争を扱うなら、十分その順番で勉強する時間はとれるはずなんだよなぁ。
話、逸れました。あつくなっちゃった。
とにかく、読んでいて味わい深い日記って、たくさんあるんですよね。
何でもない人間模様を面白く話せる芸人さんと一緒で、なんでもない日常を読ませられる日記が特にスゴイというか。
普通の人の日常、文章、心情は、いつの時代も面白い。
だから日記も面白い。
そんなことをつらつらと考えたのでした。